なぜオタクは「考察」をしてしまうのか

突然ですがみなさんは悪趣味といわれて何を想像しますか?
グロ画像収集だったり熟女好きだったり………

M性感帯や60分でマットプレイアナル舐めなんかも悪趣味に入るかもしれません。

ちなみに私が思う一番の悪趣味はオタクの生態観察なんですけども、まあ某WARI☆BASHIはオタクの生態観察が大好き。北は北海道から南は……多分神戸だろうな、幅広く様々なオタクを観察して日々罵詈雑言を浴びせております。
その中でも一番標的とされているのがまず「カメラマン」、そして「ラブライバー」です。
カメラマンといえど撮るものが違えば人も違います。
スナップ写真を撮ってる連中や風景写真を撮っている連中を相手にしたなら逆にマウントを取られかねません。あいつらは基本陽なので。
物理ならわかりませんが

その中でWARI☆BASHIが格好の標的としているのはコスプレカメラマン、大体ワンチャン狙おうとしているのかいないのかそれは定かではありませんが、常人の距離感ではないなと思うことが多々あることに加えてやはり何か少しズレていると感じることがあります。
そういったスキを見せてしまうと一気に止まらないヘイトスピーチが始まります。
怖いですね、人は社会人になるとストレスをこのような形でしか発散できないみたいです。
無職で良かった。
次に、「ラブライバー」なんですけど、回りくどくなりましたがこれが今回の主役です。
ラブライバー、μ'sの終了により一時期に比べ、大分人数が減ったと思いますがその現実を受け止められない、もしくはもう引き返せないところまできている方達により未だに息をしているようです。
その生態を観察する中で頻繁に使われるワード、それは「考察」です。
ラブライバーは何故かラブライブの考察をしたがります。それは何故なのか?
それを私も考察してみたいと思います。

(地味に好きなやつですこれ)

1.SNSでのコミュニケーションが増えすぎたため

まず考えられるのはこれですね。
SNSでのコミュニケーションの利点は、自分と同じ趣味を持った人間といつでも繋がり、またその数に限りがないことだと思います。
そうなると今までは共通の趣味を持つ友人と顔を合わせた時にしか出来なかった趣味の話がいつでもできることになります。
また、人数が増えれば増えるほど、その分コンテンツに対する異なる接し方に触れることになり、今まではリアルの友人と合わせた楽しみ方、接し方だったのが段々とSNSの知り合いと同じ触れ合い方に変化していきます。
その結果としてどうなるのかというものが次になります。

2.コンテンツに対する愛を数値化、可視化出来るようにしたがる

数字というものは非常にわかりやすい物事の判断材料になります。
それ故愛情であったりそういった目に見えないものを可視化する上で非常に利用されやすいです。
愛があればその程度なら払える、愛があればイベント全通出来る……
結局今まではCDを買う、アニメを見る、キャラクターグッズを買うで済んでいたものが
SNSで「愛情表現」をしている人たちを見て対抗心や嫉妬心、羨望といったものを抱き、自分自身もそれと同等、それを越えようとしてある意味狂ってる領域に足をツッコみます。
オタクが忌み嫌う根性論はオタクの中にも存在するのです。

つまり周りに影響を受けやすい、されやすいのが一つの特徴としてあるのかなと私は考えています。

(サバイバーか?)

さて、そんな中で一人がラブライブ!に対する「考察」を始めたらどうなるか?
答えは簡単ですね。みんな考察を始めます。
つまり自分の情熱を書きなぐるわけですから、これもまた自分の愛を証明するための道具になるわけです。
現に「キャラが可愛いじゃなくてどの話のどういうところがほにゃららでうんたらだから可愛いと言え!」みたいなことを言っているラブライバーを多く見てきました。
しかしこれではラブライバーが何故考察を始めるかの答えにはなりません。
そこで私はこう考えました。

3.自分の趣味に後ろめたさがある

そもそもアニメの考察というものは誰が始めたのかはわかりませんが、世に知らしめたのは「新世紀エヴァンゲリオン」だと思います。
当時のシーンを私は知らないのですが、実際考察書籍などが多く出版されています。
想像でしか語れませんが、アニメ=子供が見るものといった図式をひっくり返し、製作者の散りばめた裏テーマであったり情報を読み解く、そういった新しいアニメーションを作り上げたのがこの作品だと思います。
まあ本心かどうかはわかりませんが監督自身がそれを否定してるんですけど。

なぜこのようなことが広く受け入れられたのか、それはやはりオタク趣味であったりアニメは崇高なもので馬鹿にされるようなものじゃない!という「深く考えられて作られている=大人」みたいな逆に子供じみた考えがあるからだと思います。
つまり自分たちの好きなものを否定されたくなかったんだと思います。
さらにいえばこの「考察」って自分の好きなことを書くので愛情表現と非常に親和性が高いのだと思います。
愛情表現も出来て後ろめたさも解消できる……
そういったことが脈々と受け継がれてオタクはアニメに対して製作者のありもしない意図をでっちあげて書き連ねてしまうのだと思います。


正直、ラブライブ!に関しては王道のアニメだと私は思っており、面白い作品だと思います。
しかしながら、そこまで考察という名の妄想をする余地があるのか?と思います。
男はつらいよを真剣に考察する人をあなたはどう思いますか?

柴又駅で寅さんを見送る桜は何々のメタファーで桜の花言葉はなんちゃらなんちゃらだから………。
そんなこと考えてないだろ…と思うんじゃないでしょうか。

つまり、考える作品と考えないで楽しむ作品ってあるんじゃないですか?
もちろん考えないで楽しむ(楽しめる)作品でもこういう意図でこういうカットになった、こことここは対比になっているということはあります。
そういったことを発信するのは素晴らしいことだと思います。
しかしながらどこから引っ張ってきたのかわからない情報とアニメをリンクさせて考察と称する人があまりにも多すぎると思います。
もっと単純に楽しむことも大事なんじゃないでしょうか?

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